脱退2周年に寄せて

投稿者: | 2017年1月10日
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一昨年の1月10日に忌まわしき宗門を脱退して漸く2年が経過した。
脱退してからこれまでの間敵宗門の凄まじい妨害や嫌がらせは筆舌に尽くし難いものがあった。
そしてそれは今もまだ続いているのが現状である。

アンチ日蓮正宗では離壇から5年は様子見期間とする旨仰せられているが、それだけ妨害や嫌がらせに屈して戻ってしまう者が多いこと、また結局カルト依存体質から脱却できずに系列のカルト教団を渡り歩く、所謂カルトサーフィンの者が多いことに鑑みてそのように仰せられているのだろう。
一度カルトに嵌って失った信頼を取り戻すのにはそれだけの年月が必要であるという意味でもあり、まだ2年しか経過していない現時点では道半ばであるということになる。そしてあと3年は戦いが続くということにもなり、マイルストーンを重ねていくことに勝る闘争はない。

当家では当然に幾多の対策を重ねて敵工作員の撃退に努めてきたが、突撃が出来ないと見るや裏に回っての陰湿且つ卑怯な嫌がらせを激化させており、改めて敵宗門の者共が社会不適合者の集団であることが浮き彫りになっている。

本来であれば21世紀の幕開けとともに始まっていなければいけなかった真実の追究を汚い洗脳による焚き付けでスピンしたのは敵一味であり、その後も再三押し止めやスピンを行い真実の究明を妨害してきたのである。その目的が社会的抹殺にあったことは明白であり、それも些細な理由で勝手に敵認定したことが端緒となっている。
しかし、敵一味が最も知られたくなかった真相とは「宗門が敵」であること、私を騙して引きずり込んだ宗門自体が主導者であり画策者であったことではなかったか。がためにいち実行犯でしかない門外漢女を「首謀者」としてでっち上げ、デコイとして叩かせることで真の首謀者を隠蔽していたのが宗門だということである。
このでっち上げは汚い洗脳で刷り込まれ、これまた汚い洗脳によって徒に書き急がされ、内容に疑義ありとして消しても再度書かされたことは以前にも書いた。

敵宗門の者共は安心できるウソで「必ずよくなる」と私を騙してきた。
しかし、忌まわしき宗門に引きずり込まれてから脱退までの11年でちっともよくならないどころか実際には悪くなる一方であり、一家は離散し崩壊させられ、私は屈辱の境涯に突き落とされた。
しかも講内では常に孤立状態で、敵扱いされてきたのである。

敵宗門は、「罰」や「罪障」という言葉で誤魔化し、或いはこれらの言葉を使って貶め、私を悪者扱いしてきた。
そして、暗殺や離間工作で孤立化を行い、以って他に頼ることのできる者を奪い、宗門に依存させるような工作をしていたのである。
そして宗門に依存せざるを得ない状況を意図的に作り出すことで脱退を長年に亘って妨げてきたのである。
それを破ったのが、2014年に行われた「聖域なき見直し」である。

前にも書いたように、脱退するチャンスは以前にもあった。
石之坊からの脱退の砌である。
このときに宗門自体から脱退していればここまでの惨状はなかったはずである。
しかし、石之坊サイドは一方的に結論だけを押し付け、真相の追及を妨げた。
而してそのことが真実を物語るものであり、全ては寺ぐるみ・講ぐるみで行われた組織的犯罪だったのである。
そして、日有の贋作である「日蓮=仏」のまやかしに騙されていたことが脱退を妨げた。
結果、それ以後の4年半で私は全てを失わされ、屈辱の境涯にまで貶められた。
そのことに漸く気付いたのが、2014年の8月だった。
そして「聖域なき見直し」の結果宗門から脱退を決めたのが2015年の1月だったということになる。

脱退決定後、直ちに離壇の手続を取ることを決めたが、敵一味は汚い手段で行動を改変し、正式な手続を妨げてきた。
宗門と関係のない外部の者ということになると如何なる処分や懲戒も意味を成さず、脅してやり込めることが出来なくなる。そのために正式な手続を取られないように行動を改変し、その結果向かわされた宗務院でも離壇の受理を拒んで違う寺院へたらい回しにしようとしたのである。これは基本的人権である宗教からの離脱の自由を侵害する不当行為であり、断じて許されるものではない。
しかし、確実な離壇という観点から見れば離壇届は末寺に郵送で出すのが本来のあり方であり、それをされないように敵は汚い手段で行動を改変したのである。

そして敵一味は、私が力をつけることの無いようにと、事あるたびに殊更にハタカセて、買わされた物の売却で手元に取り戻してもいつの間にか使わされて失わされたのである。
力をつけることは選択肢を得ることにつながる。その選択肢を奪いたいということなのか。全くどこまで邪悪な宗団なのか。
離壇によって宗門にカネを落とさなくなったことが余程気に入らないのか。尤も私はそれほどカネを持っていたわけではないのでそこまでして引き戻しても利益など大して生み出さないはずである。

ハタカサレたカネが仮に全部残っていれば、今頃とっくに移住を果たしていた話であり、殊更にハタカセた敵一味が物凄く許せない。
然るに敵一味は失わせたものを全く償わないばかりか却って逆ギレして執拗な迫害を繰り返すばかりで全く反省が見られない。
このような宗団の者に反省を期待をすることは全くの無駄であり、邪魔者は殲滅する以外に方途がない。

敵一味による妨害の理由は他にもある。
脱退者(敵的には「退転者」)がその後幸せになられては信心に意味がないことが明白になってしまい脱退が後を絶たなくなり、収奪が出来なくなるからということなのである。つまり運命操作によって意図的に脱退者の幸福を妨げ収奪システムを守っているということなのである。
運命操作という汚いやり口を持ち込んだのは間違いなく敵宗門であり、その傘下の団体らはこれを流用しているに過ぎない。
しかし、「宗門無しで」幸せになれること、また逆にどんなに信心しても幸せになれないことを証明し、敵一味のたくらみを阻止しなければならない。
そもそも敵宗門の教義自体怪僧日有による贋作であり、「日蓮=仏」もそれ以前には無かったものであり偽仏による収奪システムは糾弾されなければならない。

大して宗門にカネも落とさなかった私に多大な費用をかけて引き戻しや遮断の工作をしたところで何の利益も生み出さないはずであり、「付きまとって何の利益があるのか」と謂いながら付きまとっていたことと併せそれは自家撞着の産物に他ならない。
以前敵工作員がのたまった「折伏の妨げは潰さねばならない」という極めて自己中心的且つ独善的な思想は全体主義、ファシズムのものであり、「世界平和」などとは到底相容れない。

ともかく、以前の記事でも書いたとおり「今年1年ハタカサレないために」を制定し、「先に買わない」「取らせないなら買わない」を徹底することとした。
失わされた物の中には、敵が洗脳犯罪を行ったために逃させられた大魚が含まれており、そのことに対する報復でもある。
逃させられた大魚だけでもとっくに移住を果たせていた話であり、絶対に許せない。
先に買うことは、敵の意向に従うことをも意味するものであり、買ってしまったがために失ったチャンスも多かったことから「先に買わない」は来ているのである。
先日書いたように前進を果たす最終期限でもあり、不退転の決意で臨む。
「買う」ことには無駄な外出でカネを使うことも含まれるというのが当家の見解であり、遠出をしないことが達成の近道でもあるということである。
従って、不要不急の遠出を避け、外出時であっても余計なカネを使わないことが肝要であるといえる。
これ以上ハタカサレる訳には絶対にいかないのが現在の一家事情であり、今度は厳しくやる。
過去の惹起事件から気をつけるべきポイントは心得ている。
汚い洗脳によるハタカセ、そしてそれが出来ないと水商売や風俗、そして交際類似事犯が来るのが敵一味の攻撃パターンだ。
最早それらに惑わされることは無いしラ・チーカ事件のような強引なやり方も通用しないからな。

たとえこのまま幸福な人生を取り戻せないで終わったとしても、私の人生を潰した宿敵であるカルト日蓮正宗宗門に戻ることは皆目あり得ないのであり、それが私の矜持であるということははっきり謂っておかねばなるまい。
従って如何なる理由や事情があったとしても宗門に籍を置く者は全て敵となるのであり、如何なる例外もそこには認められないのである。
それが解ったなら何の利益も生み出さない妨害や遮断の策謀からは早く撤退したほうが貴殿らのためだということを宗門、宗門人どもにこの場で通告しておく。

漸く脱退から2年を迎えることが出来たが、「失わされた14年間」を取り返すための戦いは始まったばかりである。
そして、「脱退から5年」を目途にするならばそこまではまだ3年ある。
移住を果たすこと自体、解放を果たすための第一段階でしかなく、敵一味が償いをしないどころか未だに遮断を続けている現状では厳格無慈悲に邪魔者を殲滅する以外に方途は無いということである。

必ずや解放聖戦を脱退貫徹による完全解決で勝利し、自分の人生を自分の手に取り戻す。
それが脱退2周年の新たな決意であるということである。

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